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東京高等裁判所 昭和47年(う)1998号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、東京地方検察庁検事伊藤栄樹作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人古瀬駿介、同南木武輝連名の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用し、各所論にかんがみ、右控訴の趣意について、つぎのとおり判断する。

論旨第一の要旨は、原判決は、たやすく採用すべからざる超法規的違法性阻却の理論を取り入れた点において、法令の解釈・適用を誤つたものであり、かつ、仮りにこの理論を是認するにしても、超法規的違法性阻却事由につき要求されるべき諸要件に関し、不当に緩やかな誤つた解釈をとつたものというべく、このような法令の解釈を前提にして無罪の結論を導き出したものであるから、右の法令の解釈・適用の誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのであり、論旨第二の要旨は、(1)原判決が被告人両名ら学生たちの本件所為の目的が正当であつたとした点については、少なくとも被告人両名が原判示学長室に到着した時点以降においては、原判示中島、本間両名の身分を確認して適当な措置を求めるため、学長に説明を求めようとしたものではなく、これに藉口して、日頃から感情的に対立関係にあつた原判示鳥山学長らに対する報復として同学長らを暴力的につるし上げるとともに、その所持品などをほしいままに探索する目的のもとに敢行されたものと認めるべきであるから、原判決は、目的の正当性について事実を誤認し、ひいて法令の解釈・適用を誤つたものであり、また、原判決の目的の正当性に関する判断には、学生に相当な範囲の固有ないし独立の自治権があるとの誤つた前提に立つて、被告人らの本件所為の目的を正当化している点で、大学の自治ないしは学生の自治の範囲を不当に拡大したものというべきで、この点においても、法令の解釈・適用に誤りがあり、(2)原判決が被告人らの所為の手段方法が相当であつたとした点については、原判決は、被告人らが終始原判示中島、本間をスパイではないかとの疑いを持ち、その身分や学校当局との関係について説明を求めようとしたところ、鳥山学長らが、これに対してかたくなな態度でのぞみ、それが被告人らの疑惑を深め憤激を誘発したものである旨認定しているが、これは、事実を誤認したものであつて、鳥山学長が、中島らの雇傭は学生の動向調査のためでなく、学園の静隠、秩序維持のためのものであることを充分に説明する措置に出なかつたのは、当時の原判示学長応接間における雰囲気が険悪で、それを説明できるような情況になかつたばかりでなく、鳥山学長ら大学当局としては、ことさら学生らに説明する必要も義務もなかつたことは、関係証拠に照らし明らかであるのみならず、原判決が、被告人ら学生の、鳥山学長及び原判示本間を除くその余の者に対する態度には、さほど粗暴なふるまいはなかつたとか、鳥山学長らの行動の自由が阻害された約三時間の時間を比較的短時間であつたとか、原判示鈴木学生部長の来校を待つ間、学生によつて鳥山学長ら全員にお茶が配られたりした旨認定したのは、いずれも、事実を誤認したものである。即ち、被告人らは、なんら責められるべきでない鳥山学長らに対し、約三時間の長時間にわたり、粗暴なふるまいをなし、威嚇的言動に出て監禁したものと認めるべきで、原判決が被告人らの手段方法の相当性について判示するところは、事実を誤認したものであるとともに、右のように事実を誤認した結果、被告人らの本件所為が手段方法の面からみても社会通念上許容される限度を著しく越え、法秩序全体の精神と趣旨とからみて到底正当な行為とはいい得ず、かつ、目的の正当性が直ちに行為の手段方法を正当化するものでないことが明らかであるのにかかわらず、被告人らの所為の目的や鳥山学長の態度のみにとわられすぎて、本件行為全般についての全体的・総合的考察に適正を失し、かつ、本件監禁行為着手後に無断奪取された警察官事前出動要請書や鳥山学長のノートに関して学長の措置を批判し、中島、本間の雇傭問題とは関連がないのに、その措置をも判断の資料とし、本件において、被告人らの所為の手段方法が相当であつた旨判断したのは、法令の解釈・適用を誤つたものであり、(3)法益の均衡性についても、原判決は、超法規的違法性阻却事由の重要な要件である法益の均衡性の要件を軽視ないし過小評価しているばかりでなく、その具体的な解釈適用においても、被告人らの本件行為によつて保護さるべき法益と、それによつて侵害された法益との価値の数量及び両法益の侵害の有無・程度に関する判断に重大な誤りをおかしており、(4)補充性、即ち、その行為に出ることがその際における具体的情況に照らし緊急を要するやむを得ないものであり、他にこれに代る手段方法を見出すことが不可能であるという要件においても、これは、超法規的違法性阻却事由の重要な要件であるにかかわらず、これを過小評価するかあるいは実質的に無視するに近い態度を示した原判決の判断には、事実の誤認及び法令の解釈・適用の誤りがあり、以上の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決は、とうてい破棄を免れない旨主張するものである。

よつて、まず事実誤認の論旨について考察することとし、原審記録をつぶさに検討し、かつ、当審における事実の取調の結果を合わせて考察する。

第一まず、〈証拠〉を総合すれば、つぎの事実が認められる。即ち、

昭和四五年六月、日米安全保障条約の自動延長期を迎え、学校法人芝浦工業大学では、同月一三日学生自治会によつて、右延長に反対して翌一四日からストライキを決行するか否かを問う学生大会が大宮校舎で開かれていた。大学当局においては、その頃学内外で次第に活発になつて来た学生運動に対処するため、当時芝浦工業大学(以下単に「芝浦工大」という。)の学長であつた鳥山武雄により、かねてから実施されていた同大学、芝浦工業短期大学、芝浦工大工業高等学校の学生、生徒の午後一〇時から翌朝七時までの構内立入禁止と、昼夜を問わず実施されていたすべての学外者の無断立入禁止との措置をいつそう励行するとともに、右ストライキが行なわれた際、これに伴つて発生するかもしれない学園封鎖、他校学生の学内立入やセクト間の争いなどを防止する等の含みをもつて、同月一二日に開かれた教授会に、同月一三日から約一〇日間教職員らが教授会の指示に従つて、交替で毎夜一二時まで大学構内を巡回警羅し、不隠な状況が認められた場合には、速やかに適宜の措置を講ずるため理事長ら大学当局に通報する旨を内容とする教職員による学内警備案が提案されたが、教授会は、教職員による警備の必要性はなく、かつ、警備は教職員の職務外の行為であるとして、これを否決した。鳥山学長は、右否決後、昭和四四年に発生した学園封鎖や右大宮校舎でのいわゆる内ゲバ事件等の前例にかんがみ、警備の要があるとして、翌一三日午前中常務理事会の開会を求めて警備の問題を審議に付し、その結果、この常務理事会では、前同様の含みをもつて警備の必要を認め、芝浦工大田町校舎においては同月一三日から一〇日間、同大宮校舎においては同月一四日から一〇日間、警備会社に依頼し、各三名のガードマンによる警備態勢をとるとともに、有志教員によつて夜一二時まで学内巡視を行なうことを決定し、警備会社への依頼については、加藤常務理事があたることになつた。

こうして、芝浦工大から警備の依頼を受けるに至つた東京探偵社では、同月一二日、一三日中に業務第三部長中島清治が芝浦工大を訪れ、加藤常務理事から鳥山学長、村越常務理事らの紹介を受けたのち、加藤常務理事、小曾根総務部長らと警備の具体的内容、雇傭条件等の協議に入り、ガードマンを芝浦工大総務課の臨時職員として採用してもらつたうえで警備に従事したいとする東京探偵社側の条件を除き、ほぼ合意に達し、右条件に関しては、加藤常務理事が一応了承の意向を示したものの、常務理事会の承認をうる必要があるとして、雇傭の最終決定は、同月一三日夜鳥山学長がガードマンと面接したうえ決定するとの話し合いがまとまり、帰社した中島清治は、右協議の模様から、東京探偵社主張の条件による雇傭契約の成立を見越し、同日夜一〇時から前記田町校舎の警備に従事するため、同社のガードマン本間寅男外二名を選び、この三名に対し、同日夜九時三〇分に右田町校舎玄関付近新芝橋北側にある交番の前で待機して自分の指示を待つよう命じて置き、同夜九時頃最終的な話し合いのため右田町校舎におもむき、まず総務課に行き、前記小曾根部長から警備に必要な腕章四個ぐらい、トランシーバー、校内地図等を受け取り、仮眠室等の説明を受けたのち、構内巡視の際に使用する鍵についての説明を受けるため、単身本館校舎正面入口横にある守衛室におもむき、同室入口付近で守衛と話をしていた。その時期は、大宮校舎で行なわれていた前記学生大会が終わつて、一部学生が田町校舎へ帰着した頃であつた。このとき、同守衛所に行き合わせた芝浦工大の学生七、八名が右中島清治の姿を認め、面識のない同人が芝浦工大と染め抜かれた前記腕章を所持していることに不審を抱き、ストライキ決行を翌日にひかえたおりから、大学当局が学生の動向等を探索する目的で雇つたスパイではないかと疑い、右学生らは、中島を取り囲むようにして、「お前は誰だ、身分証明証を見せろ。」と言つてつめ寄つたので、中島は、「君達に答える必要はない。」と答えていたところ、おりしも、本館校舎裏の内庭付近から、「ガードマンらしい男を捕えた。」という声がしたので、急に中島の周囲の学生らの間に険悪な空気が流れた。そこで、中島は、大学構内で待つよう指示して置いた本間寅男らのうちの誰かが大学構内にまぎれ込み、学生らに発見されたものと推察し、もはや単独でこれら学生が納得するよう説明することは不可能である、学長に説明してもらつた方がよいと考え、学生らに対し、「私に不審の点があれば学長に聞いてもらいたい。学長室に行こう。」と言つて、学生らとともに、南校舎二階の芝浦工大学長室に向かつた。

その頃、学長室には、鳥山学長をはじめ、村越潔常務理事、中村貴義、鯉淵正夫両芝浦工大教授、平野昇芝浦工業短期大学学長、武田昭二芝浦工大工業高等学校教頭、梅崎肇同校教諭ら前記常務理事会が決定した有志教員による学内警備に賛同した七名の者が、同夜の当番として学内警備に当たるため集まり、学長事務室に隣接した学長応接間で、当日大宮校舎で行なわれた前記学生大会の結果等に関して雑談をしていたが、同夜九時三〇分頃中島とともに前記七、八名の学生らは、右学長室前の廊下に来たのであるが、当時この廊下から前示七名が集まつている右応接間に入ろうとするには、学長室受付を経て、この受付と右応接間との唯一の出入口となつているドアを利用する以外に方法がなかつたので、これらの学生は、この経路、方法で、右応接間の前示受付に隣接する部分に入り、同応接間のいすにすわつていた鳥山学長ら七名の者とおのずから向かい合う形となるとともに、同学長らは、これら学生のため、廊下との出入りを自然にはばまれた形となつた。このとき、中島清治は、鳥山学長に対し、「学生が私のことをとやかく言うので、学長からひとつ説明していただきたい。」との旨要請し、学生の中から、同学長に対し、「こいつを知つているか。」との旨問う者があり、同学長が、「知つている。」との旨答えたのち、中島は、前示ドア近くのいすにドアを背に腰をおろしたところ、学生らは、同学長に対し、「こいつは誰だ、何しに来たんだ。」と問いただしはじめた。間もなく、前示本間寅男が別の学生らに腕をとられて中島の横に連れ込まれ、学生らの数も十二、三名にふえ、「学長、この男はどういう男だ、校内をうろついていたが、どういう男なのだ。」との旨の問いが学生らの間から相次い出、騒がしい状況となつた。鳥山学長は、中島については、「名前は、中島という者で、学内警備員として臨時採用するため面接に来ている者だ。」との旨を答え、本間に対しては面識はないものの、これまでのいきさつや、前後の事情からみて、加藤常務理事が手配したガードマンの一人で中島指揮下の者であろうと推察したが、当の中島が学生らに問われて「知らない。」と答えたため、なんらかの事情があるものと思い、同じく「知らない。」と答えた、学生らは、これらの答えに納得せず、大学当局が学生の動向調査等のために雇つたスパイではないか、知らぬはずはない旨しつこく問いただしたが、本間は一言も発せず、中島も、鳥山学長も、それ以上の説明をせず、押し問答のくり返しとなるだけだつたので、手づまり状態となつた。そこで、学生の中から、これではだめだ、山田を呼べとの声が挙がり、二、三の学生が急いで被告人山田を迎えに行つた。被告人山田は、元芝浦工大の昼間部の学生自治会の執行委員長であつて、当時芝浦工大全学闘争委員長の地位にあつた者であり、被告人飛松は、当時芝浦工大昼間部の学生自治会の執行委員の地位にあつた者であるが、当時すでに田町校舎構内に戻つていて右の知らせを受けた被告人両名は、同一〇時頃相前後して右応接間に姿を現わし、先着の学生らより事の大要を聴取し、まず中島、本間らの身分や大学当局との関係を確認し、大学構内に入つた事実関係等を明らかにする必要があり、その結果いかんによつては、右両名の就労の差し止め等然るべき是正の措置を求める要があるかもしれないと考えた。被告人両名を迎え十四、五名にふくれ上つた学生らは、にわかに勢いづき、被告人両名が中心となつて、再び鳥山学長と中島、本間に対し、後者両名の身分、大学当局との関係を明らかならしめるための厳しい追及が行なわれたが、事態は、前とほとんど変わらなかつたので、被告人山田を含む数名の学生は、本間を隣りの学長事務室に連行し、机をたたいたり、大声を上げたりして素性をただしたうえ、所持品の検査をはじめ、遂に東京探偵社の名刺と、同人の手帳に芝浦工大鈴木学生部長の連絡先が記載されているのを発見し、大学当局と関係のある者であることを突きとめるに至つた。こうして、にわかに学生らの態度は硬化し、憤激した被告人両名は、それ以前からされていた鳥山学長らの再三にわたる退去の要求に従わないのみか、「やはり私立探偵ではないか、学校側のイヌじやないか。」「こういう者を雇つてどうするんだ。」「陰でこそこそやりやがつて。」などと大声でどなつたりして、激しく鳥山学長につめ寄つたり、同学長に嘲笑的な言辞を弄したりし、村越理事に対しても、「学校におれないようにしてやる。」などと暴言を吐き、さらに被告人両名を含む学生らは、学長事務室の学長の机や鳥山学長の鞄の中を勝手に探し、昭和四年六月一〇日付の警察官事前出動要請書を発見すると、これを鳥山学長に突き付け、「警察にこういう書類を出して警察を導入する気か。」とあらあらしく非難し、また、右鞄の中にあつたノートに芝浦工大芝浦寮の入寮者の名前と室番号が記載されているのを見出すと、激昂したようすの被告人山田が、「お前は、警察と連絡をとつて学生の動向や挙動をいちいち調べているのか。教育者として恥ずかしくないのか。」とどなり、左手で鳥山学長の肩をつかみ、右手でネクタイを握り、激しい剣幕で鳥山学長に迫つたりなどするとともに、中村教授が用便を訴えた際には、被告人山田が目くばせし、一人の学生がこれに同行してこれを監視し、中島が同様の訴えをした際には、「そこにたれ流しにすればいいじやないか。」と言つて拒否し、村越理事から、「腰の具合いが悪いから出してくれ。」との頼みがあつたのに対しては、「お前の命よりこつちの方が大事だ。」と言つて突つぱね、同一一時頃、中島が電車がなくなるので帰らせて欲しい旨申し出たのに対し、被告人両名はこもごも、「今日おれたちは重要なことをやつているんだから、それが片付くまで帰れないぞ。今日は、お前たちにつき合つてもらう。」との旨答えるなどして、退出を思いとどまらせたりしたことにより、前示学長室にいた鳥山学長らが学長室から自由に退去できないような雰囲気が次第次第にかもし出され、これらの者の退去が困難となつたのであるが、その最初の時期がほぼいつ頃であるか明らかでない。

こうして、被告人両名を含む学生らは、中島については、鳥山学長から一応の説明があり、中島が本間の同僚であつて、大学当局が雇つたスパイではないかという疑いをぬぐい去つたわけではなかつたが、かといつて、鳥山学長の説明を覆すだけの資料もないまま、中島に対しては、「臨時の警備員になるよりも仲仕にでもなつたらどうだ。」などと言つて、一応穏やかに応接していたが、本間に関しては、その身分は判明したものの、大学当局との関係については、同人の手帳に芝浦工大鈴木学生部長の連絡先が記載されていること、同人が前示のような事情で大学構内で学生らに発見されたことがわかつているものの、鳥山学長と中島とが、本間のことを知らない旨答え続けていることから、大学当局との関係を明らかにするためには、鈴木学生部長を呼んで同人からこの点の事情聴取をするほかに方法がないということになり、同一一時頃被告人山田が学長事務室から同部長の自宅に電話をかけ、「お前は、警備員を雇つたろう。不都合なやつだ。すぐ学校に来い。」との旨を告げて登校を迫り、さらに村越理事をして、同部長に対し、「学校が用があるから学長室に来てもらいたい。」との旨を告げさせた。この電話により鳥山学長や村越理事らが学内に監禁されているものと推察した同部長は、登校する旨を答えて置き、直ちに三田警察署に対し電話をしたうえで、ひとまず同警察署へ向かつて自宅を出発した。こうして、被告人両名を含む学生らは、鈴木部長の来校を待つよりほかに手段がないということで、本間に関する激しかつた追及を中断し、いずれともなく、言葉少なくなり、そのうち学生によつて鳥山学長らにお茶がくばられるなどし、今までのとげとげしい雰囲気もいくらかなごみ、学生らも多くは学長事務室におるという状態となり、同一一時過ぎ中島が前示応接間の前記ドア付近に学生がいないのを見定め、その隙をつき、次いで、これを見た鯉淵教授がその後から、いずれも応接間から右ドア、学長室受付を通り大学構外に退去した。

同一二時近くになつて、学生らは、約一時間で登校するはずの鈴木部長がいまだに姿を見せないのに不審を抱き、さらに同人宅に電話をしたところ、既に出かけている旨の返事を得たので、その後二、三十分前同様の状況で同人の来校を待つていたが、一向に現われないのにしびれを切らし、途中帰つた学生もあつて、学生の数は十名ぐらいとなり、その中には、終電がなくなるという学生もあつて、被告人ら残つた学生らは、中島、本間両名が私立探偵であることは、ほぼ確認できたこと、大学当局が雇つたかどうかは不明であるが、これ以上確認のしようがないこと、及び後日自治会において、正式に大衆団交を持つて追及する以外に手段がないこと、なお、鈴木部長がいまだに姿を見せないのは、警察に行つたからではないか、という結論に達し、翌一四日午前一時近くの頃、学長室から全員退去した。

前示のとおり学生らが学長室におもむいたのは、むしろ本件において被害者とされている中島清治の発意によるものであつて、以上判示の学長室におけるできごとのあつた間、被告人両名はもちろん、同席していた他の学生らの中には、ヘルメットをかぶつていたり、棒を持つていたりした者は、もとより、一名もおらず、全員素手であつた。

また、被告人両名が学長室に姿を現わし、鳥山学長らや中島、本間を追及しようとした際の被告人両名の意図、目的は、前示のとおりであるが、この意図、目的が、その後、右の退去までの間に変わつたものと認むべき事情はない。

以上の事実関係にあることが明らかであつて〈証拠判断・略〉、他に右各判示を覆するに足りる証拠はない。

第二つぎに、〈証拠〉を総合すれば、

一芝浦工大では、大学当局から昭和四三年一月一七日ごろ、学期末試験を目前に、入学試験を約一か月後に、ひかえた時期に、学費値上げの発表があつたのを機に、学園紛争が起こり、学生のいう第一次闘争が発生したのであるが、この闘争が発生する以前の同大学における学生の学園における自治的活動の自由は、大幅に大学当局の許可を要するものとされていて著しく制限されたものであり、学生自治会の役員は、大学当局の推薦によつて決定するという制度であり、また、大学教授会は、単なる諮問機関であつて、通常の大学に比し、学生自治会や教授会の地位の立ち遅れが目立つていたこと、

二右の第一次闘争において、学生側は、学費値上げ反対、学内民主化一五項目の要求を掲げて、授業・学期末試験拒否を手段として当局側と争つて来たが、入学試験の実施を翌日にした昭和四三年二月一九日田町校舎で開かれた当局側と学生多数との会合において、学生側は、学費値上げ反対を撤回する、当局は、学内民主化一五項目(全学協議会――理事者、教員、学生――による大学の運営、学生自治会の民主化と学内活動の自由の承認、教学に関する教授会の議決権の確立、経理の公開等)を認め実施するということ等で収拾されたこと、

三右の第一次闘争において承認された学内民主化一五項目は、その後学生側の期待するように速やかには実現されず、かつ、その実現内容も、学生側にとり必ずしも満足すべきものではなかつたが、ともかく、全学協議会が成立、発足し、大学の運営について協議を続ける至り、学生自治会については、昭和四三年五月被告人山田が芝浦工大の昼間部の学生自治会執行委員長に選出され、学生の学内自治活動の自由がほぼ認められ、教授会については、その構成員に助教授を加え、かつ、その権限を教学に関する議決機関に改められた。また、経理が学生に対し公開された結果、学生のうち、運動部所属員に対し奨学金が支出されたりしていることが判明する等支出面に問題となるものがあるのみならず、さきの第一次闘争の発端となつた学費値上げの当局側の理由説明が、収支償わないことにあつたのにかかわらず、公認会計士の検査の結果等によれば、収支相償つてなお数億円以上の繰越金を生ずる状態であつて、当局側の学費値上げの理由には、学生をして深い疑惑を抱かせるものがあり、このことが直接のきつかけとなつて、再び学園紛争が起こり、学生側は、当局がさきの第一次闘争で示した収拾策は、ただ入学試験を学生の抵抗なしに行ないためのその場のがれの案でしかなかつたとして当局側を追及し、学費値上げの撤回、既に徴収した値上分の返還その他学内民主化のための諸要求を掲げていわゆる第二次闘争を開始した。これに対し、芝浦工大の理事全員は、辞職してしまい、理事会代行会議がこれに代わり、同代行会議が学生多数と会見し、質疑、応答、討論、提案等を重ねた末、昭和四四年一月二九日理事会代行会議議長藤田栄と全学闘争委員会委員長被告人山田純一との間において、学費値上げ徴収分の返還、学内民主化実現のための一一項目の学生側の要求を承認し、この一一項目の内実を具体的に保障する四つの拒否権(介入権を含む、以下同様)、即ち予算決算等に対する拒否権、教育上の決定に対する拒否権、人事の決定に対する拒否権及び管理介入権が学生のもとにあることを確認する旨の確約書が、右理事会代行会議議長から全学闘争委員会あて差し入れられたこと、

四右確約書や前示一一項目の承認事項の性質、効力の認識について、つぎの指摘する各事実、即ち

1  被告人山田が本件所為の当時芝浦工大全学闘争委員会委員長の地位にあつた者であることは、さきに認定したとおりであり、同被告がさきのいわゆる第一次闘争ののち、昭和四三年五月昼間部の学生自治会執行委員長に選出されたことは、前三において判示したとおりであるが、同被告人は、右自治会執行委員長の地位を昭和四五年五月まで保有していたのであり、この間に前示のようないわゆる第二次闘争を学生運動の指導的立場に立つて体験し、昭和四三年一一月二二日芝浦工大の昼間部、夜間部及び芝浦工業短期大学の各学生自治会の闘争のための連合組織体としての全学闘争委員会が成立、発足し、同被告人は、その委員長に就任し、学校当局との交渉等にも最高責任者としてこれに当たつて来たもので、同被告人としては、前示全学闘争委員会は、芝浦工大の昼間部、夜間部及ぶ右短期大学の各学生自治会の権限が、いわゆる第二次闘争に関する限り、全学闘争委員会に委譲せられたものと理解し、従つてまた、昭和四四年一月二九日の前示三の学内民主化一一項目の承認等と確約書の内容とは、大学当局と全学生間の協定として双方を拘束するものと信じていたこと、

2  一方、大学当局においても、前三判示の承認や確約書が、全学闘争委員会が全学生を代表するものでない点で無効である旨を主張することは少しもなく、私立大学連盟当局に対しても、右確約書の文言中に見える拒否権ということの趣旨に関し、全学闘争委員会と理事会代行会議との間で行なわれた言葉のやりとりを挙げて説明し、この場合の拒否権というのは、学生側が異議を申し立てうる権利と解すべきであつて、かかる権利を行使するには、学生大衆の支持を得ていることを前提とする旨説明したし、実際にも、この拒否権なるものは、本来の語義とは異なり、右のように解釈すべきものであつた。そして、前三判示の大学当局が全学闘争委員会に対して承認した学内民主化一一項目については、そのうち図書館の建設は、大宮校舎において実行に移し、学内奨学金の交付は、昭和四四年中に実施し、水増し入学をなくすことについては、ほぼこれに近い線でその頃実行に移され、大宮校舎のスクールバスも実現する等し、右確約書中に見える「人事の決定に対する拒否権」発動の例としては、大学当局が機械科教員としてあらたに採用した某に対し、全学闘争委員会の一部である機械科の学生の闘争委員会から機械科教室の教授会に対し、大学の教員として不適格であることを理由としてその某の学外追放を求める異議の申立がなされ、当局において調査の結果、右機械科闘争委員会の申立を一部理由ありと認め、その某を、学生と当分の間直接接触を持たない別の部署に移すこととしたことがあり、大学当局としても、前三判の示昭和四四年一月二九日の大学当局と全学闘争委員会との協定は、大学と全学生との間に拘束力があるものと考え、これに則つて行動して来たものであること(当時の大学当局の学生に対する姿勢については、批判さるべき点が少なくないと思われるが、実状は、以上のとおりであつた)、

3  鳥山武雄は、前三判示のいわゆる第二次闘争の当時から既に芝浦工大の教授の地位にあつた者であり、同判示の昭和四四年一月二九日の大学当局と全学闘争委員会との間でまとまつた学内民主化一一項目や確約書については、直接関与する立場にはなかつたのであるが、右確約書の内容については、当時から聞いてその大要を知つており、その後昭和四四年一二月二六日学長選挙に前学長であつた大北候補を破つて芝浦工大の学長に就任し、教学に関する最高責任者になるとともに、教学を担当する常務理事に就任したのであるから、右の学内民主化一一項目や確約書がどのような事情で成立し、成立後どのように運営されているのか、いないのか等について、当然注意を払い、前任者等につき報告、引継を求めるべきであつたのにかかわらず、この点について、鳥山学長は、ほとんど注意を払つた形跡がなくかえつて、全学闘争委員会は、学生全体を代表するものではないこと等の理由により右確約書の内容は無効であるとの見解をとり、自分からは、進んでその引継を求めなかつたこと、

五芝浦工大では、さきのいわゆる第一次闘争以来再三にわたり学園紛争が起こり、たびたび大学当局と多数学生との間で集会――学生のいわゆる大衆団交――が行なわれ、質疑、応答、提案、要求等がなされたのであるが、このような集会が行なわれるのは、学生の授業が終わつた夜間であることが多く、その参加学生の数は十数名から数十名ぐらいのときもあれば、数百名以上、ときには二、〇〇〇名を越えることもあり、季節としては厳冬の候であつたこともあり、継続された時間としては、四、五時間から七、八時間に及ぶことは珍しくなく、時に夜を徹し一〇時間を越えて寒い冬のさ中に多数学生の参加のもとに行なわれたこともあり、参加学生の数と会場との関係から、学生側が大学当局をとり囲むような形で行なわれたこともあり、大学当局の応答の態度や内容いかんによつては、学生側から語調を大にし、鋭い詰問がつぎつぎと発せられたり、その間、野次や怒号が参加学生の中から飛ぶことも珍しくなく、事態の経過、進展により、大学当局者としては、学生側がほぼ納得するところまで誠意を示し、なんらかの収拾案を提案することがその場の課題となり、勢い、大学当局者としては、事実上かなりの時期にわたり行動の自由の制限を受けざるを得ない立場に立たされるのであつたが、参加学生またはその指導的立場にある者としては、これをもつて、故意に大学当局者の自由を拘束する違法な所為に出ているものとは認識していなかつたのであり、また、大学当局者としては、このような事態を好ましいこととは思わず、異常事態と考えつつも、特に違法な事態とまでは考えていなかつたこと、

六前記第一で判示したところの芝浦工大常務理事会で決定し実施に移されたガードマンの雇傭の件は、同判示のように日米安全保障条約の自動延長に対して昭和四五年六月一四日から同大学でストライキを決行するか否かを問う学生大会が同月一三日同大学大宮校舎で開かれており、大学当局においては、その頃学内学外で次第に活発になつてきた学生運動に対処するため、当時芝浦工大の学長であつた鳥山武雄の要請により、かねてから実施されていた同大学、芝浦工業短期大学、芝浦工大工業高等学校の学生、生徒の午後一〇時から翌朝七時までの構内立入禁止と、昼夜を問わず実施されていたすべての学外者の無断立入禁止との措置をいつそう励行するとともに、右ストライキが行なわれた際、これに伴つて発生するかもしれない学園封鎖、他校学生の学内立入や、セクト間の争いなどを防止する等の含みをもつて、警備の必要があるとし、同大学田町校舎では同月一三日から一〇日間、大宮校舎では同月一四日から一〇日間警備会社に依頼し、各三名のガードマンによる警備態勢をとること、警備会社への依頼は、加藤常務理事があたることがそれぞれ決定され、こうして警備の依頼を受けた東京探偵社側では、前判示のような経過で、同社主張の条件による雇傭契約の成立を見越し、同月一三日午後一〇時から前記田町校舎の警備に従事するため、中島清治が前示のとおり指示や手配をしたうえで、同夜九時頃前示の目的で田町校舎に入つたところ、前示のような経過で学生らに発見され、とがめられ、学長に説明してもらおうと考え、「学長室に行こう。」と言つて、学生らとともに学長室に向かつたものであり、間もなく、前示本間寅男が別の学生らに腕を取られて学長応接間に連れ込まれ、その後学生らが、追及の結果、中島については、その姓と、大学当局により学内警備員として臨時採用のため面接に来ている者であることの言質を得、本間については、東京探偵社の名刺と本間の所持する手帳の中に芝浦工大鈴木学生部長の連絡先が記入されていることを発見したりしたのであるから、大学当局の意図はいかようであれ、被告人ら学生、殊に、前示のように全学闘争委員会委員長として昭和四四年一月二九日の確約書の成立に当たつた被告人山田や、昼間部の学生自治会の執行委員であつた被告人飛松としては、中島、本間がともに東京探偵社の者であつて、芝浦工大の学生がストライキ決行を翌日に控え、大学当局、学生ともに緊張していた時期に、大学当局が学生の動向等を内偵するために、この者らを雇い入れ就労させているのか、今さらそうしようとしているものと疑い、このような意図、目的で大学当局が探偵社員を雇い入れるのであるならば、これに対して、被告人ら学生としては、前示確約書記載の「人事の決定に対する拒否権」及び「管理介入権」を行使して異議を申し立てるべきであるが、それに当たる場合であるかについて、大学当局や中島、本間を追及して可能な限り真相を明らかにし、その結果いかんによつては、右確約書の保障する「人事の決定に対する拒否権」、「管理介入権」を行使して異議を申し立て、大学当局の再考と是正の措置を求める意図であつたこと、並びに被告人らが前示のような疑いを抱いたこと及びそれが前提となつて、大学当局や中島、本間を追及しようとした前示の意図には、それなりに首肯しうるものがあること、

以上の諸事実が認め得られ〈反証排斥略〉、他に以上の各認定を覆すに足りる証拠はない。

第三そこで第一判示の諸事実関係に第二認定の諸事実を合わせて考察すると

一まず、鳥山学長ら芝浦工大当局側七名の者及び東京探偵社の中島清治、本間寅男が監禁されたとされている芝浦工大学長室、殊にその一部を成す学長応接間と外部との出入りに関する構造は、前判示のとおりであり、芝浦工大当局側七名の者が腰をおろしているところへ前判示の状況で学生七、八名が学長室受付から前示ドアを通つて前示応接間の右受付に隣接する部分に入り、同応接間のいすにすわつていた鳥山学長ら七名の者とおのずから向かい合う形となるとともに、同学長らはこれら学生のため、廊下との出入りを自然にはばまれた形となつたことは、前判示のとおりであつて、これが鳥山学長ら大学当局側七名の者や中島清治と学生らとが会つた最初の状況であり、関係証拠によれば、同夜一一時過ぎ頃中島清治と鯉淵正夫が学長応接間から学長室受付との間のドア、学長室受付、廊下を経て大学構外に退去したほか、芝浦工大当局側の六名は、学生らが退去するまで右応接間をほとんど移動しなかつたものと認められるのであるが、このように学生らが応接間の入口をやくし、鳥山学長らと向かい合うような形となつたこと、及びその後、かなりの時間、芝浦工大当局側六名の者がほとんど右応接間を移動しなかつたのは、前示のような建物の構造に由来するところが少なくなかつたのであつて、学生らが当初から最後まで右応接間の入口をやくし、鳥山学長らと向かい合い、これらを出入り不自由な状態に置こうという意思であつたとは、とうてい認め難い。もつとも、中島清治とともに七、八名の学生が学長応接間に入り、鳥山学長と問答を交わし、本間寅男が別の学生らによつて腕を取られて同応接間に連れ込まれ、さらに追及が行なわれたのち手詰まり状態となつていた時期までは、被告人両名は、右応接間に姿を現わしておらず、その後午後一〇時頃になつて相前後して右応接間に来ているのであるから、それ以前の状況いかんは、被告人両名の責任を決するうえにおいて直接必要がないという見方もありうると思うが、被告人両名は、前判示のように学生側と大学当局側や東京探偵社が位置する前示応接間へ到着し、学生側に合流して、これら学生の中心なつて追及を行なつているのであるから、それ以前の状況も、無関係とはいえない。

二前第二の六で判示したように、本件ガードマンの雇傭は、鳥山学長ら大学当局側の意図、目的はいかようであれ、これを発見し、追及した学生側にとつては、ストライキ決行を翌日にひかえ、大学当局、学生ともに緊張していた時期に、大学当局が学生の動向を内偵するためにこの者らを雇い入れ就労させているか、または、今まさにそうしようとしているものと疑い、このような意図、目的でなす雇い入れ、就労であるならば、これに対しては、被告人ら学生としては、前判示確約書記載の「人事の決定に対する拒否権」及び「管理介入権」を行使して異議を申立をすべきであるが、それに当たる場合であるかについて、大学当局や中島、本間を追及して可能な限り真相を明らかにし、その結果いかんによつては、前示拒否権、管理介入権を行使して大学当局の再考と是正の措置を求める意図であつたこと、並びに被告人らが前示のような疑いを抱いたこと、及びそれが前提となつて大学当局や中島、本間を追及しようとした前判示の意図には、それなりに首肯しうるものがあることは、既に判示したとおりである。そして、被告人らの前示意図、目的がその後変わつたと認むべき事情がないことも前判示のとおりである。もつとも、原審第六回公判調書中証人鳥山武雄の供述記載中には、被告人らが退去しなかつたのは単に中島、本間の身分確認だけの目的ではなかつたと思う旨の部分があるが、これは、同証人の主観を述べたもので直ちに採用し難く、他に検察官所論のように、被告人らが中島、本間の身分確認に藉口し、日頃から感情的に対立関係にあつた鳥山学長らに報復し、これを暴力的につるし上げる意図で学長室にとどまり、第一判示のような行為に出たものであると認めるべき証拠はない。

三ある時間、芝浦工大当局側、東京探偵社側の者が前示学長室から外部へ出ることが事実上妨げられたことは、前第一判示のとおりこれを確めるべきであるが、その始期をどこに置くべきかは、証拠上困難な問題である。まず、被告人両名が学長応接間に姿を現わし、先着の学生らと合流したのは、前第一判示のとおりの情況にある時期であつて、その時刻は、同判示のとおり午後一〇時頃と認められるが、関係証拠によれば、その際、芝浦工大当局側七名の者及び東京探偵社側二名の者は、いずれも前示学長応接間におり、先着の学生らも、同様であつて、中島清治が出入口ドアを背にする形でいすに腰をおろし、本間寅男がその横にいたという以外、中島清治が学生らとともに右応接間に入つて来た際の両者の位置関係、態勢に著差はなかつたと認められるから、被告人両名が合流した学生側は、おおむね学長室受付からドアを通じて入つた応接間のドア付近や受付に隣接する部分におり、応接間のいすにすわつていた鳥山学長らとおのずから向かい合つた形を続けるとともに、同学長らは、これら学生のため、廊下との出入りを自然にはばまれたままの形で、いわば出入口をやくされているともいえる状況にあつたのである。しかしながら、被告人らが先着の学生らに合流した当時から、客観的に監禁の状態がはじまつていたとみることは、大学当局者らの側からみても自己らの外部へ出る自由が違法・不当に拘束されているという意識が欠如しているという一事を考えてみるだけでも無理がある。(原審第五回公判調書中証人村越潔の供述記載―被告人山田の関係では尋問調書、同第六回公判調書中証人鳥山武雄の供述記載によれば、鳥山学長や村越理事は、被告人両名が応接間に入つて来た頃から一再ならず学生らに対し帰るよう要求し退去を求めていることが認められないではないが、それは、異質の者が難題を掲げて来たので、迷惑に思い早くこれを避けたい思いで発した言葉と解され、自己の外部へ出る自由が拘束されておるのを解いてもらいたい趣旨で発したものとは解し難い。)被告人両名が右応接間に入つて来てから約一時間を経過した午後一一時過ぎ頃、中島清治、鯉淵正夫が前第一判示のようにこの応接間から学長室受付、学長室前廊下を経て大学構外に退去するまでの間、前判示のように中村教授が用便を訴えた際、監視つきでこれを許したり、中島清治が訴えたおりには、これを拒否したり、村越理事から健康上の理由により応接間から出してくれと求められながらこれをつつぱねたりしたことからみれば、一見この時期に学長室にいた大学側、東京探偵社側の者に対し、学長室から外部へ出ることの自由を拘束しているものと解されなくないようであるが、これらの所為については、被告人両名が学長応接間に到着し、先着の学生らに合流し、少なくともしばらくの時間を経過したのちから、午後一一時頃までの間のある時期に起こつたものという以外に証拠上確定の方法がないのであるから、見方によれば、午後一一時頃相次いでこのような事象が起こつたといえなくもないのである。そして、関係証拠によれば、中島清治、鯉淵正夫の両名が前示の経過で学長室を出て大学構内から退去した前後の頃は、学生らは、学長応接間だけにいるというのでなく、学長室全体にばらばらに分散して行動していたことが明らかであるから、前一判示の応接間の構造と大学側、学生側関係者の態勢をも合わせ考えると、被告人らを含む学生らが果たしてこの時期までを通じ、大学当局側、東京探偵社側の者に対し、学長室から外部へ出ることをはばんで、その脱出を不可能または著しく困難ならしめるような客観的な態勢をとつていたものであるかは、疑わしいとしなければならない。そのうえ、前第一判示のように、中島清治、鯉淵正夫は、同夜一一時過ぎ頃、相次いで学長応接間から退去し、大学構外に出たのであるから、もし、今まで同人らがいた学長応接間における事態が、被告人ら学生による大学当局者や東京探偵社員に対する現行犯罪であり、それがなお現に継続して行なわれていて放置できないものと考えたならば、右両名は、いずれも、自己らの同僚や長上、部下に対する被害が現に発生していると考えるべき筋合いであるから、ためらうことなく、官に対し、この事態を申告し、適切な措置を求めたであろうと思われるのにかかわらず、右両名とも、そのような行動に出たなんらの証跡がないのである。してみれば、被告人両名が学長応接間に到着して先着の学生らに合流した時点の頃、被告人らが大学当局側や東京探偵社側のひとびとを学長室よら外部へ出ることを不可能にし、または著しく困難にするような状態に置いたものと認め難いのはもちろん、その後、中島、鯉淵両名の退去の時点まで、大学当局、東京探偵社双方の関係者を学長室から外部へ出ることを不可能にし、または著しく困難にするような態勢に置いていたとすることも、確認し難いものといわなければならない。そして、中島、鯉淵両名の退去後、納二時間近い間、被告人両名を含む学生らが鳥山学長ら大学当局側六名の者と本間寅男とをあらためて客観的な監禁の態勢に置いたものとみることも困難である。むしろ相手方が、その場の雰囲気、学生の人数、その場で起こつた事象の内容やその背景となつた前第二の五判示の事実等が無形の足かせとなつて、学長室から廊下を経て大学構外へ出ることを妨げられていると感じたのではあるまいかと思われるのである。

四前第一判示の被告人両名が学長応接間に姿を現わしてから、被告人両名を含む学生全部が退去するまでの約三時間は、決してしかく短時間とはいえないし、その間の被告人らの言動には、穏当を欠くものが少なくないことは、まことに遺憾であり、犯罪を構成するものも、ないとはいえない。しかしながら、本件は、監禁罪の成否が問われている案件であるから、被告人両名を中心とする学生らが果たして客観的に鳥山武雄ら応接間にいた九名の者を外部へ出ることができないような、または著しく困難なような態勢に置いたかどうか(この点は、直前の三で詳細説示した。)を判断すれば足りるのであつて、その余は、事情に帰する。

以上諸般の理由により、被告人らの本件所為は、監禁罪の客観的構成要件である、人を一定の場所から自由に出ることを不可能または著しく困難にしたものとみるだけの証拠が充分でないから、原審としては、その理由により被告人両名に対し無罪を言い渡すべきであつたにかかわらず、原審が、被告人らの本件所為は、監禁罪の構成要件を充足するが、実質的違法性がなく、罪とならない旨判示して被告人両名に対し無罪の言渡しをしたのは、事実を誤認した結果、法令の適用を誤つたものというべきであるが、いずれにせよ、無罪を言渡すべきことにおいて変わりはないから、右の誤認、法令適用の誤りは、判決に影響を及ぼさない。結局、原判決が被告人両名に対し無罪の言渡しをしたことは、正当である。それ故、事実誤認の論旨は、理由がない。

よつて、その余の論旨に対する判断の要をみないから、これを省略し、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(堀義次 平野太郎 和田啓一)

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